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昨日ようやく届きましたブログ本!!
いくら速達じゃないメール便とはいえ、25日に発送完了メールがきて、3日経っても届かなかったら地方者でも焦るって~!!!!もうすこしで不着の問い合わせをするところでした。


個人的にこの本のお目当ては撮り下ろした写真だったのでブログ記事内容自体がどんな感じで編集されていたとしても別にどうでもよかったんですが、ざっと目を通したところ、予想していたよりはちゃんといろいろ本人考えてセレクトしているんだなあという印象(コラw)。というか、載せなくてはならない関係性の近しいひと、これまでの作品での共演者等々はちゃんとバランス良く選んで写真も載せてると思うわ。やれば出来る子(笑)。

そして『終わりに』の「〝再会〟出来る様」の言葉で、泣いた。



しかしですね……A5サイズのこういう本って手に取るのなんかめちゃくちゃひさびさなんですけども……完全に海の近くとかで買う薄い本仕様、ですね(笑)。A5/120ページで全ページフルカラー印刷の薄い本が2,700円というはどうなの?高いの?フルカラー表紙の本は作ったことあるけど中身までオールカラー本の価格相場なんてわたしわかんないわー。オールカラーならぼったくりって程の値段でもないのかなあ……?まあでも同じ会社で制作した写真集『A』が3,500円だったんだからそれを思えばわりとぼったくりなのか。

いいのよこれはまた会うためのお布施だから……(震え声)



約一ヶ月前に撮られたセルフポートレートはどれもこれも可愛くて躍動的でキラキラしていて、わたしの大好きなマオちゃんでした。一ヶ月前の君にでも、会いたかった。会えてよかった。

またキラキラなマオちゃんに会える再会の日まで、なるべく〝笑顔〟で生きていきます。
 
 
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前回記事からの流れで、「人を殺す」という点で思い至ったことがあるので続き書きます。



新生メサイアシリーズにおいてオリジナル要素である評議会側がいよいよ次はメインか、というところまでフィーチャーされることになったのは、やっぱり一番最初の舞台である銅ノ章においてメインであるサクラ側の役者たちが評議会チームよりも圧倒的に力不足であったことが一番大きな要因だろうと思っています。いくらサクラ贔屓でもそこは冷静に理解しているつもり。でもそれだけではなく、銅・漆黒・白銀と通してのサクラ側の描き方にも問題があったと思うんですね。

戦隊モノで言うと、サクラ側は地球を護る正義のヒーローで評議会側は地球の平和を脅かす悪の組織てな感じでしょうか。……まあサクラが正義のヒーローなんてものでは無いことは百も承知ですが、単純な構図としては白と黒、光と闇、王道と邪道みたいな対比に置き換えられます。ただ本来はサクラ側も決して光では無く闇なんですよね。すべてを捨てて亡霊となりサクラとして闇に潜んで死ぬまで殺して生き続ける。そういう闇の部分を、サクラチームは感じさせないのです。サクラチームの4人はあまりにも光属性が強すぎるんですよね。ヴィジュアル面をみても揃いの制服姿で並ぶとなんという正統派アイドル感。どこまでも光溢れる印象なんです。

サクラチームの役者たちが元々持っていた正統派な光属性をさらに強化したのが新生メサイアにおけるサクラの描き方です。彼らは国家によって特別殺人権を許されている最高機密のスパイ集団であるはずなのに、ここまでの新生メサイアシリーズにおいてサクラたちが「禊ぐ=敵を殺す」描写がほとんど無いのです。


原案にあたる高殿円氏の小説では、鋭利と珀がメサイアとなった初任務において北のスパイを始末する描写があります。しかもちゃんとサクラの基本通り他殺にみえないよう事故死にみせかけた巧妙な殺し方です。卒業試験をクリア後の物語ラストでも必要な〝禊ぎ〟はしっかり遂行されました。

ですが新生メサイアでは、漆黒から白銀までサクラ側は名の有る人物を誰も殺していません。

映画と舞台で敵を倒す描き方に差が出るのは当然としても、映画の漆黒ノ章で明確に殺人描写があったのは鋭利が評議会のモブ機関員を一人撃ち殺したあのシーンぐらいですかね。翌日一嶋が「海棠くんが始末した評議会機関員の死体から」と言及しているのでこれは間違い無いです。あとハードディスクの取引現場で評議会とカラチョフのモブに向けて颯真がマシンガンを連射していましたからあれは確実に死者が出ていると思われます。でも銃撃による過度な流血やその死体の描写はありませんでした。

舞台である銅・白銀ではあれだけアクションを盛り込んでもその主な戦闘相手である〝G〟しかサクラは始末していないのです。それも高殿小説での巧妙な〝禊ぎ〟とは程遠い、アクションゲームのモブ斬りのような感覚でアンデッドモンスターの如く次々と湧いてくる〝G〟をいくら殴っても撃ってもそれはサクラの使命である重い〝禊ぎ〟をまったく感じさせませんでした。唯一名有りと思える相手が白銀の卒業ミッション第三フェーズで颯真と柊介が直接対決した岸谷ですが、彼はあの戦いで敗北し死んだのかと思っていたんです。がしかし、紫微ノ章のキャストに岸谷役新田さんの名前がある以上あの戦いのあとも岸谷は生きているってことなんですよね……颯真と柊介は評議会側の誰も潰せないまま卒業しちゃったのね……あーあ……

正直わたしは颯真と柊介の最終対決が岸谷であったということすら不満だったんですよ。勿論アクションの質という意味では最高レベルの相手なんですが、颯真と柊介の卒業ミッションですよ?これが舞台上での二人最後の戦いになるかもしれない。だったらCLIE言うところの〝立ち上げメンバー〟である評議会の一人ぐらいは潰してほしかった。それを敢えてしなかったというのは、商業的な意味での先延ばし、真の最終決戦はまだ先にとってあるのだと思っていいのかしらねえ。

まあその先延ばしのせいで、颯真と柊介は誰一人始末しないまま卒業しプロのサクラになってしまいました。こんなんでホントに大丈夫なのかしらあの二人……


この「人を殺す」描写の欠如が、サクラ側の4人に背負った運命の重さを感じさせない大きな要因だとわたしは思うワケです。なににおいても綺麗すぎるんですよサクラたちは。お花畑できゃわわ~なサクラちゃんたち、なんですよね。任務もチャーチというある種のモラトリアムな学園生活その延長にしか思えない。

特に銅ノ章はオリジナルという初物インパクト且つ評議会チームの実力によるアクの強さもあって、サクラチームはお綺麗なだけで印象が薄く面白味に欠けると思われても仕方無かったです。それが一番顕著に現れたのが、銅のラストシーンかなあ。「ここに来るまではどこにでもある、ありふれた普通の生活だったんだ」から始まる過去との決別そしてこれからサクラとして生きていく覚悟を4人が代わる代わる語りかけるシーン、メサイアポエムとか言われているアレですアレ。あそこ、もっくんさん以外の3人がホントに軽くてねー……銅ノ章公演当時から個人的にはわりとミテラレナイ感あったんです。言ってる台詞の内容は重いのに役者の演技がそこまで到達していない乖離感というか。でもそれは舞台でのサクラの描写自体にも要因があったからこそ、ラストシーンのサクラ4人の台詞が妙に上滑りしちゃってるように思えたんだわきっと。

白銀ノ章ラスト前のサクラ4人による掛け合いシーンは、銅のラストに比べると4人の気持ちの乗り方が見違えるようでした。それは約一年のあいだ作品と役に関わって蓄えた経験値によるところも大きかったでしょうが、白銀に出演するキャスト、特にサクラチームが抱えていたなかのひとのリアルが、舞台のキャラクターたちとリンクしてこそ表出した、演技を超えた部分なんだと思います。(だから白銀が仮に万が一、同キャストで再演されたとしても、2014年1月のあの9公演と同じだけの想いの強さそしてあの熱量には絶対に達しないだろうと思っています)


ちょっと話が逸れましたが、逆に評議会側、いや、むしろ北方連合と言ったほうがいいかもしれませんが、サクラも顔負けの殺し屋っぷりなのが桧賀山ですよね。桧賀山は漆黒と銅において柊介の元メサイアである堺、颯真の元メサイアである遙輝、そして自分の手駒であった大場を殺しています。もうね、桧賀山のゲスさといったら!!さすがは北に通じている人間ですよ。この桧賀山の非道っぷりに比べたらずっと自分を騙していた裏切り者の敵である遙輝すら撃てなかった颯真なんてもうね!!なんなんだろうね一応サクラなのにね!!!!(でもそういう颯真だからいいのよね柊介は)

だからこそわたしは桧賀山には、新生メサイアシリーズの最後まであのままでいてほしい。大場の頭を吹っ飛ばしたあのゲスさを貫いてほしい。桧賀山が今後の章で再登場を果たしたとき、彼の過去設定に母を守れなかったーとか可哀相な子どもでしたーとか、そんなお涙頂戴な本当は悪いひとじゃないです的設定は絶対要らない!!と白銀を経た今は強く思ってしまうんです。

……え?桧賀山とは彼らサクラ4人がいずれ揃ったところでちゃんと決着つけてくれるんですよ、ね?
 
 

紫微ノ章の情報解禁から一週間。
とうとう堪えきれなくなったので多方面を敵に回す覚悟で自分のモヤモヤを吐き出します。


※三栖と周贔屓の方は気分を害する可能性がありますので回避してください。



紫微ノ章第一弾出演キャストは銅ノ章における例の大失態で学んだク●リエによる巧妙なる【五十音順】表記によってキャストの誰がトップクレジット扱いなのかまだわからない状態ですが(五十音順でトップにいるあかざー君が紫微の主演だと思っているひとも多いように見受けますが)、あらすじをみるにまあおそらくは白銀で評議会を抜けた三栖と周がメインに据えられるんだと思います。ク●リエのいう新生メサイアの〝立ち上げメンバー〟その生き残りは最早彼らだけですからね。新章に突入する新生メサイアシリーズを二人が名実ともに引っ張っていくことになるのでしょう。

でもさ、三栖と周がメインって、もうそれタイトルに『メサイア』を戴く必要無くない?



「この世界でたった一人、自分を救ってくれる相手、それが〝メサイア〟である」この広義の解釈において、お互いが唯一の相手である二人=〝メサイア〟というコンビ扱いは、すでに去年6月の赤蓮ノ章イベントで漆黒・銅と脚本を担当したイセナオ氏がサクラチームだけでなく評議会チームのキャストをも「カップリング」と称して二人ずつニコイチにしていたことからも明白ではありました。成る程三栖と周もお互いが唯一の必要な相手という意味ならばすでに彼らは〝メサイア〟であると言えなくも無い。

しかし、高殿円氏原案による『メサイア』という作品の世界観において肝となるのは、やはりサクラだと私は思うんです。たとえ原案者にすらその意識がすでに皆無であったとしても!!それでもさ!!!!それでも、「お互いが唯一の救い人」というだけの話ならば別に他にもあるじゃん?これまでに世に出た数多のバディものでも究極にはそういうことでしょ?それらと『メサイア』のなにが違うのかといえば、それはサクラに科せられたあの鉄の掟の存在じゃないでしょうか。

銅ノ章でも漆黒ノ章でも白銀ノ章でも、物語の冒頭で繰り返されたサクラの鉄の掟。お互いを唯一の存在だと委ね背負いながらも〝メサイア〟はチャーチを卒業すればそれぞれ一人で生きていかなくてはならないんです。お互いを生かすために一人生き続けなければならない。どんな任務にも従いそれを遂行し生き抜かなければならない。再び自分の〝メサイア〟に会える日まで、〝メサイア〟のことを想いながら、相手が絶体絶命のときに〝メサイア〟を救いにいくために生きている。一人でチャーチにやってきて、そこで強制的に二人にならされて、やがて互いが唯一だと想い合える相手になった頃には再び別れて一人にならなくてはならない。そしてチャーチを出ればあとは美しく咲き誇りいずれ散るそのときまでずっと彼らは一人……

〝メサイア〟という作品の肝ってこの「一人から二人そしてまた一人」というサクラ側にだけ掟として与えられた要素だとわたしは白銀を観て強く思うようになったワケです。

サクラは特別殺人権を得る代償として己の過去すべてを消され戸籍も失い戻る場所も無くその鉄の掟に死ぬまで縛られ続けます。

「人を殺す」ということに対して、やっぱりわたしはね、いい歳して青臭いというか綺麗事で偽善なのかもしれませんが、人を殺した人間は最終的にはなにかしら同じだけの報いを受けるべきだと思っています。サクラたちは国家によって殺人を許されたスパイ集団ですが、その報いというか代償としてただ死ぬだけでは済まされない、あまりに重すぎるものを科せられていますよね。ですが評議会側の人間にはそれが無い。彼らはいわゆるテロリストですから目的のためにどんな犠牲を払おうとも、それが人を殺すことであってもすべては彼ら自身の勝手な自由意志で自己責任なんです。白銀で周は自分の邪魔をしたという理由だけで君村を虫けらのように殺しました。三栖は銅の時点で国際指名手配される程の犯罪者ですから彼の目指す「究極の平等」を達成するためにテロ行為によって目的の邪魔になる人間を殺したことも勿論あるでしょう。ですが彼らはなににも縛られない。そりゃあ新生メサイアの世界でも日本は法治国家ですから警察組織に捕まれば法によって裁かれ罰せられるますが、追っ手から逃げてさえいればどこでどのように生きていてもそれは彼らの自由なんですよね。


ここで白銀ノ章における颯真と柊介、そして三栖と周について。

颯真と柊介は〝メサイア〟として互いを背負い委ねてからずっと二人で一つでした。けれどもチャーチというある種のモラトリアムの場から卒業することでこれからはそれぞれ一人で生きていくことになります。三栖と周はこれまでそれぞれずっと一人で生きてきました。そんな二人が互いを唯一必要な存在だと認め評議会というしがらみを捨てることで一人だった彼らはこれから二人で生きていくことを選んだのです。こうやって比較すると今回メインのこの二組は実に対照的なニコイチとして描かれているのがよくわかります。互いが唯一のニコイチであることが〝メサイア〟であるなら確かに三栖と周も白銀で〝メサイア〟になったのでしょう。

白銀以降の三栖と周がわたしは正直うらやましいです。彼らはそれぞれの自由意志で「二人でいる未来」を選び、その意志はこの先どんなものにも縛られることがない。颯真と柊介はこれから生きている限りサクラの鉄の掟に縛られ続けるのです。絶体絶命の窮地に陥ったときもしくは〝零杯ノ日〟までは二人になることを許されない。己の半身〝メサイア〟に二度と逢えない。〝メサイア〟を想いながらずっと一人で生きていかなくてはならない。『散ルサクラ 残ルサクラモ 散ルサクラ』……結局サクラは命ある限りずっとこの使命に従わなくてはならないんですよ。

だが人は争うことをやめない。戦いは終わらない。〝零杯ノ日〟などおそらく永遠に訪れることはない……サクラの休息とは、その命を散らせるときしか無いんでしょうか。すべてを捨てて亡霊となり殺人権を得る代償とはこれほどまでに苛烈で重いんですよ。サクラにとってはね。

白銀のクライマックスで、周は颯真と柊介に向かって「許さないから!!お前ら絶対に許さないからな!!」と叫んでいたけれど、個人的に言わせてもらうなら三栖と周を許さないですよわたしは。これまで散々他人を犠牲にしてきたテロリストが二人で逃げてこの先しあわせになれると思うなよ!!!!亡霊として扱われた上にもう二度と唯一の相手〝メサイア〟に逢えない孤独なサクラたちの気持ち考えたことあるんですか?!!!(←繊細チンピラ的言い分)

(……まあ、二度と逢えないとか言いつつ、颯真と柊介は〝零杯ノ日〟を待たずに再会してるけどさあ)


本当は、白銀で三栖と周は〝メサイア〟になってはいけなかった。と、私は思うのです。〝メサイア〟はサクラたちにしか辿り着けない関係性で無くてはならなかった。三栖と周は〝メサイア〟になりたくてもあと一歩でどうしてもなれない届かない、というポジションに留まらせておかなくてはならなかった。鉄の掟にも縛られずなにも捨てず自分の自由意志で〝メサイア〟を得られしかも自分の望む限り二人一緒にいられる、なんてズルイですよズルすぎますよ。すべてを捨てて猶も死ぬまで掟に縛られ続ける孤独なサクラたちがあまりにも可哀相じゃないですか。

実はわたし、白銀で追加された三栖と周の設定にはぶっちゃけ結構がっかりしたのです。母を守れなかった子どもと父に愛されなかった子どもってそんなそんなそんなもーなんていうかありきたりすぎるーって。そこらへんのびーえるにありふれたニコイチになっちゃったなーって。銅での意味深な匂いのする関係性だった彼らの方がわたしには魅力的だった。特に周は銅の得体の知れない感じがね、三栖すらも「うん、捨て駒だよー」って切り捨ててしまえそうなもしかしたらラスボス? って感じのキャラクターが白銀で一気にステレオタイプの可哀相な子になっちゃって。三栖はまとめるとマザコンだし。そういう意味では同じ追加設定の残念さで二人はきっとお似合いなんでしょうけども。

誤解してほしくないのは、龍くんとたまちゃんの演技に一切の残念さはありませんでしたよ、ということです。わたしは二人ともイケメン舞台よりは小劇場寄りというか本当に実力のある若手役者さんだと思っています。Gロッソの最前列まさに立ち位置目の前というポジションでたまちゃんの周が銃をこめかみに当てるあのシーンを観たときは思わず涙出てきたしね。残念だったのは三栖と周の追加されたキャラクター設定なんです。

まあ白銀以降も新生メサイアをシリーズとして続けていくならば今すぐには揃わない〝立ち上げメンバー〟のサクラたちにこだわるよりも評議会を抜けて如何様にでも料理出来る三栖と周で引っ張っていくしかないでしょうし、先を見据えての白銀でこういう設定になるのも仕方無いとは思います。ええわかります。商売ってそういうことだもの。

だからこそ、わたしの個人的な意見としては、三栖と周をメインにして『メサイア』という作品を上演するのであれば、三栖と周は紫微の物語を経たラストで再び一人にならなくてはいけない。「一人から二人そしてまた一人」というサクラ側にだけ掟として与えられた要素を、三栖と周にも踏襲してもらわなくては、〝メサイア〟というタイトルでサクラ側では無い彼らがメインを張ること、わたしは納得出来ない。三栖も周もこれまで一人で生きてきたからこそ二人で過ごす束の間のモラトリアムな甘い時間は与えられるべきでしょう。でも最終的には別れなければならない。それも死別ではなくて生別で。互いを唯一必要としながらも一人で生きていく結末になってこその〝メサイア〟だと思うのです。

これで紫微が、「いやいや、メインじゃなくても新しいサクラの話もちゃんとあるよ。鉄の掟もテロップで説明するよ。だからこれは『メサイア』なんだよ」ってな具合だったらどうしよう……そこまでサクラ側を軽く扱われたらもう泣くに泣けない。でもそこは白銀であんなにもサクラたちに想い入れて大事にしてくれた演出家さんを信じていい、のかなあ…。信じたいです。「彼らがいつか帰れる場所」の言葉をね。



モヤモヤしています。こんな感じで一週間ずっと、モヤモヤしています。
わたしは〝立ち上げメンバー〟のサクラあってこその新生メサイアだと今でもそう思っているので。
 
 

本日発売の『CINEMA SQUARE』Vol.60、買ってきました。



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お目当てはコレ。『クジラのいた夏』のメイン4人による座談会記事です。
最初の4人並びな見開きページ、マオちゃんの作画が一人二次元だわ……さすがだわ……(溜息)


座談会の内容は完成披露試写会のトークで大体話されていたことで特に目新しい話題は無いのですが、それでもこの時期に雑誌でマオちゃんの姿を観られるというしあわせ…すっかり干上がってしまっていた心に広がっていくこの潤い……

やっぱりわたし、マオちゃんの二次元なお顔と薄っっすい身体、そして演技が大好き!!!!
 
 


ほう、紫微ノ章、ですか。
紫か。本公演でわりとカラフルな色が来るのはこれがはじめてですね。



CLIEが新生メサイアを商売になるシリーズだと思っていてまだまだ続けていく気満々なのは白銀の前からすでにわかっていたコトで。……うん、だから白銀では颯真&柊介の卒業ミッションという実にスケールのちっさい物語以外の要素を潔く捨てたんだよね。(三栖&周の方もある意味評議会からの卒業ミッションと言えなくもないしな)その分マクロ視点で言うと、銅ノ章からなーんにも進展せずに余計な設定まで増えたしねえ。

新生メサイアが白銀以降も続くのであればサクラ側のキャスティング面でいろいろと変革が必要不可欠なのも、白銀公演終了後にメインであるサクラ四名のうち欠員が二名となってしまったことで余計に強く意識せざるを得なくなった。

そして白銀ノ章の演出を担当された御笠ノさんの2月はじめのツイート(※下記にて共有)をみた瞬間、「あ、もう続編決まったんだな」と、今年中の新展開も覚悟もしていた。


だけど、やっぱり、わかってはいても、複雑な気持ち。
続編決定を知ったあとの昼ごはんは半分以上残してしまった。



……でもね。


御笠ノさんのこのツイートと、龍くんのこのあいだのブログ記事「またまおの掛け声で円陣組もぅ」の言葉を信じるなら、マオちゃんと健斗の帰りをメサイアの座組が待っていてくれるのだ、と、信じてもいいのならば。

……これは、紫微ノ章は、タクミくん映画で言うところの『Pure』なのだ、と。


多方面に波風立てるのもアレなので敢えて具体的には言及しませんが、わたしの言いたいこと、これでわかっていただけるでしょうか?うん、紫微はぴゅあなんだよ。わたしはそう思って、身のうちでドロドロと渦巻いては複雑に揺れ動くマオちゃんのいない新生メサイアへの想いを自分のなかで納めることにしたのです。



CLIEのなかのひとがリプライで答えていたツイートから引用させてもらうと、「いつでも立ち上げメンバーが戻って来ても良いようにメサイアは続いて行きます」……とのこと。


立ち上げメンバー、か。……物は言い様だな(苦笑)。

この立ち上げメンバーというのは間違い無く漆黒&銅に関わったひとたちを指すのでしょう。そのキャストたちの誰もが望んだという続編。彼らがいつか帰れる場所、それが〝メサイア〟……ならばなんとしてでも、彼らが再び逢うことを許される〝零杯ノ日〟までなんとしてでも、新生メサイアの物語を繋げてもらわなくては。
 
 



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